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被災後によみがえった銭湯・亀の湯

 気仙沼市魚町の裏にある『亀の湯』は、明治から百年ほど続く銭湯だ。唐桑行き巡航船乗り場がある船着場からも歩いて5分と近い。東京から唐桑半島の大原造船所までクルマでいったり、一ノ関からレンタカーを借りて訪ねたときなどに、暖をとりたくなると『亀の湯』をしばしば利用させてもらった。元々、その裏手はかつて色街があったところで、その名残らしき小さな飲み屋なども残っていた。やはりというか、漁師町なので脱衣場にはいつも演歌が流れていて旅人にはそれも面白い。しかも窓側の棚には各地のカツオ漁船の船名を記した洗面器がずらりと並ぶ。つまり気仙沼に水揚げする船の乗組員が必ず利用する人気の湯だから、いつも洗面器の中に石鹸やシャンプーなど一式がそろえてあるのだ。狭い漁船のうえでの作業が連日続くと、疲労や寒さで疲れもたまり、みんな熱い風呂に飢えてくる。もちろん小さなシャワー室ぐらいは大型漁船に備わっていても、居住スペースをなるべく削って保冷できる漁倉を確保しないといけない。それで漁船が寄港するたび地元の銭湯にとびこむ。
 ところが3月11日に魚町一帯も津波にあい、銭湯四代目・齋藤克之さんの家も崩壊。見渡す限り、廃墟の町と化してしまった海抜の低い近隣区域からは住民も消えてしまい、再開するのはほぼ絶望的に思えた。けれど地盤沈下した気仙沼漁港に景気づけと支援の意味も含めて、わざわざ水揚げにやってくる心熱き漁船員たちから銭湯復活を望む声が強くでたという。
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 折しも商工会議所同士のつながりで、大阪・池田市からボランティアの面々が春先から気仙沼に入るが、疲れた彼らもやはり風呂を望んだらしい。池田市は阪神大震災での教訓を活かして、たまたま被災者向けの給湯ボイラーつきの仮設風呂キット(700万円相当)を保管していた。機転を利かしてそれが気仙沼市に寄贈されることになった。有難い話である。当初は気仙沼の魚市場近くに設置される計画だったが、現地を訪ねた方なら分かると思うが、辺りは地盤沈下が激しくて水没箇所があちこちにできて適当な場所が見つからない。しかも夜になって満ち潮になると、その水たまりが大きく広がる。しかも電気も消えて不気味だし交差点の信号機もいまだに灯らない。
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 それで被災したこの『亀の湯』の内部をボランティアの方々が片付けて、さらに建物の強度も専門家が調べた末に、大工さんにも手を入れてもらった。かくして8月頭、この「いけだ、ふれあいのゆ」が亀の湯内の脱衣場に設置されたのである。当初は無料で利用できるように池田市が3ヶ月間、燃料代や水を運び込む費用も負担。そのあとは気仙沼市が地元漁協に運営を委託。当然、気になるのはいつも清潔にしなければならない浴場の管理だが、亀の湯のおかみさんである齋藤ちかこさんが付きっきりで、風呂を掃除をしたり水の入れ替えの面倒を昔のようにする。そのためにこうした人件費や管理費までも含めて漁協が全面的にバックアップする話になった。基本的に昼の2時から夜7時まで開けて入湯は無料である。
 寄港する漁師たちがどれほど喜んだか、その嬉しそうな顔が目に浮かぶ。それでなくとも、彼らが水揚げしてくれるお陰で、気仙沼にも少しずつ生気が甦るのだ。また漁船の出入りは潮の干満や競りの時刻にも縛られるため、携帯に連絡を前もって入れると、おかみさんは夜間や早朝にも気楽に入れるよう便宜をはかるという。大きな浴槽は一つかぎりなので、近所(といっても住民はごく僅かだが)の女性たちも、夕方4時〜5時までを女性専用タイムにして利用できるようにしている。
 訪ねたこの日は午後、他県から来たカツオ漁船の乗組員ら15名ほどが出航前に入りたいという要望の電話が入った。早速、ちかこさんが甲斐がいしく準備し終えたところだった。彼女は私にも入っていけと勧めてくれたが、さすがにそれは遠慮した。こうしてみると、改めてコミュニケーションや日常の体調変化などを気遣う場としての、銭湯の存在理由が大きく浮彫りにされてくる。
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 気仙沼のように台風接近時の避難港にもなるくらい安全で大きな港の周囲には、関係者以外はほとんど誰も気づかないような、漁業を底辺から支える仕組みやインフラがいっぱい隠されているのだ。そんな一面も意識しながら、大勢の人々に復興のディテールを一緒に考えていただけたら、ありがたいと思う。
   
                                                    瀬戸山玄
# by karakuwa2 | 2011-09-30 10:51 | 唐桑レポート

里海再考プロジェクト

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里海再考プロジェクト
  ■きっかけ
 2004年、INAXギャラリーで「唐桑・海と森の大工」という展覧会が開かれました。船大工の岩淵棟梁の取材を中心に、唐桑の海と森に寄り添った暮らしや生業が紹介されていました。美しい海と森の風景、生き生きとした棟梁の働く姿、唐桑御殿と呼ばれる気仙大工が建てる立派な家々・・・
そこには、里海と呼ばれる海と森に深くかかわった暮らしが映し出されていて、とても印象的でした

 ■2011.03.11
  信じられないほどの大きな地震と津波が唐桑を襲いました。
あの美しい風景や、船大工の棟梁はどうしてるんだろう・・・  

 ■私たちにできること
  関西からは、はるか遠い東北。多くの方が被災され苦しんでおられるなか、私たちは何もできないことにもどかしく感じていました。テレビからは繰り返し悲惨な被害の映像ばかり。あの美しかった風景が流れることは、ほとんどありませんでした。
 失われてしまった里海の風景や暮らしのことをもっと知りたい、もっと多くの人たちに知ってもらいたい・・・そういう思いで、2004年の展覧会を含め長年唐桑の取材をされてきた、ドキュメンタリストの瀬戸山玄さんを大阪にお迎えしての講演会の企画が、9名の呼びかけ人により始まりました。

 ■2011.06.27 「唐桑 海と森が育んだ暮らし」
  里海再考プロジェクト_e0238073_1814244.jpg参加者は総勢60名。オープニングでは岩淵棟梁が船をこぐ映像。棟梁が木造船をつくる様子や進水式の時の神事の映像が、瀬戸山さんの語りとともに流れました。
  木造船からFRPの船に代わっていく中で、神事もだんだん無くなっていったそうです。木という自然の恵みで船を造っていく間は、自然に対して恐れや崇拝の気持ちがあったのでしょうが、それが工業製品に取って代わった瞬間に忘れ去られてしまったのようです。自然の力を恐れることなく、原子力での豊な暮らしを得てしまった私たちの姿と重なります。
  後半は、意見交換。ポストイットで唐桑半島に緑をよみがえらせます。里海再考プロジェクト_e0238073_18223357.jpg
 唐桑のことは、初めて知った方も多かったですが、唐桑のご出身の方も参加されていました。漁業や暮らしの復興のことを気にかけるご意見が多く、宮城県知事が進めている「漁業権の開放」についての質問もありました。瀬戸山さんのお話では、「特に外資系が入ってくることが問題・・・」というご意見でした。
  震災前まで脈々と営まれてきた里海での豊な暮らしのなかに、復興のあり方を考えるヒントがあると思います。
  今回の講演会が、ご参加いただいた皆さんのアクションを起こすきっかけになることを願っています。
# by karakuwa2 | 2011-09-09 10:07

失われた里海の再生を考えます


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